とりい ひろゆき氏プロフィール
元・東京工業大学原子炉工学研究所教授;元・日本経済新聞社論説委員1942年東京都生まれ。東京大学工学部卒、同大学院工学研究科修士かてい修了。日本経済新聞社入社。「日経ハイテク情報」編集長、論説委員、2002年東京工業大学教授、2008年退官。エネルギー・環境問題、科学技術と社会の関係などを取材・研究。原子力委員会専門委員など歴任。著書「原子力の未来」「科学技術文明再生論」「どう見る、どう考える、放射性廃棄物」など。
ある研究者が、さまざまな科学技術について「説明を聞くのに費やしていいと思う時間はどのくらいか」というアンケート調査を、一般の人を対象に行なった。それによると、最も長く費やしていいと思ったのは「原子力の必要性についての説明」で、費やしていいと思う時間は、他の科学技術に比べ、平均で二・五倍にもなった。
電力各社が計画中のプルサーマルについても、「なぜ必要か」の説明は極めて重要だ。プルサーマル実施の意義として、これまで国や電力会社は、(1)エネルギー資源の自給率が四%しかない日本では、ウラン資源を再利用することで、エネルギーの安定供給を確保することが必要である、(2)将来の高速増殖炉実用をにらんでプルトニウム燃料のハンドリング技術を確立する、などの点を挙げてきた。 もちろん、これらは非常に重要だが、さらに言えば、(3)余剰プルトニウムは持たないという国際公約を守り、平和利用に貢献する、(4)原子力発電所の使用済燃料を再処理して使う原子燃料サイクルの流れをつくることで、既存の原子力発電所を健全に動かす、といった点もプルサーマル計画の大切な意義だと思う。
つまりプルサーマルは、将来的なエネルギーセキュリティや技術確立のためだけでなく、既に動き始めた日本の原子燃料サイクルを安定的に回し続けるためにも必要ということ。国や電力会社はこうした点について、いっそう丁寧な説明を行なっていくべきだろう。
もう一つ別の観点から言えば、プルサーマルは、発電所の地元住民や社会との対話を深めるうえで、重要なきっかけとなる可能性を秘めている。
なぜならプルサーマル計画とは、既存の発電所で、既存のウラン燃料とは少し組成の異なる燃料を使おうというもの。確かに新しい方法ではあるが、今まで行なってきたこととさほど大きな差があるわけではない。その小さな差について議論する以上、議論の内容は立ち入ったものにならざるを得ない。
逆に言えば、これまでの原子力発電をめぐる議論は「賛成か、反対か」という大雑把で感情的なものになりがちだったが、プルサーマルの場合は、きちんと冷静に技術の話ができる。その意味で、プルサーマルは対話のための格好の素材だ。後に振り返れば、日本社会と原子力の関係が成熟していくプロセスにおいて、プルサーマルが非常に重要な役割を担っていた、ということになる可能性もある。
但し、突っ込んだ議論、深いコミュニケーションを実現するには、対話方法にもそれなりの工夫が必要だ。関西電力では、原子力発電所の現場で働く技術者が近隣の住民宅に出向き、直接対話を重ねていると聞く。これは大変前向きな良い取り組みだ。
また、自らは一歩引いて、市民同士に議論を委ねてもいい。例えば東京工業大学では、原子力を学ぶ学生たちが発電所のある町を訪ね、住民にアンケートを行なったり、セミナーを開いたりした。これは学生にとって住民の生の声に触れる貴重な経験になっただけでなく、「原子力について同じ目線で一緒に考えることができた」と住民にも大変好評だった。プルサーマルをめぐる対話にも、こういう形を採り入れてはどうか。
地球温暖化問題や原油価格の高騰が深刻化するなか、人々の原子力を見る眼は明らかに変わりつつある。「必要性の説明」を求める声が高いのも、変化が起こり始めている証拠だ。この機を逃さず、プルサーマルをめぐって実りある対話をすることができれば、日本の原子燃料サイクルも新たな段階を迎えることができるのではないか。
みなみ しげゆき氏プロフィール
大阪市立大学大学院工学研究科電子情報系専攻電磁気学研究室教授1947年大阪府生まれ。オーロラ研究で世界の第一人者であると同時に電動車両の開発と未来の交通車両の研究者として知られる。電気自動車ラリーには自ら開発した車で学生と一緒に参戦し、優勝を重ねる。電気自動車研究会幹事、Asian Electric Vehicle Society理事、国際誌『Journal of Asian Electric Vehicles』編集長。
電気の力、つまり内燃機関ではなくモーターで走る自動車を電気自動車という。その歴史を見ると、登場はガソリンエンジン車より五年ほど早く、速度面でも優位性を誇っていたようだ。しかし、走行距離の短さがネックとなり、普及することなくこんにちに至っている。
電気自動車はエネルギー生産の部分を含めても、シーオーツーやNOXの排出量が少なく、内燃機関に比べて廃熱も少ないため、「効率が高く、環境に優しい自動車」であることは間違いない。だから二十世紀後半からこんにちまで、社会の関心が「資源」「環境」に振れるたびに「救世主」として注目されてきたのだが、いまだに「環境や省資源に貢献している」とは言いがたい。
なぜか。それはエネルギーを論じるときには、「量」という要素が最も重要だが、電気自動車は二〇〇〇年から二〇〇六年までの合計でも五百台ほどの出荷台数に過ぎず、環境への貢献を云々できるほどの普及量になっていないのが現実だからである。せめて自動車の一〇%程度を占める必要がある。
ちなみに日本の場合、現在の自動車保有台数は営業車やバス、トラックなどすべてを含めて約七千九百万台だから、その一〇%となると約八百万台。これはもう「エコだから」とか「環境に優しいから」といったかけ声だけで到達できる量ではなく、消費者が「乗りたいから買う」「好きだから買う」というレベルの製品にならない限り達成できない量と言える。ではどうして電気自動車がそうならないのか。まず挙げられるのが値段の高さ。これは電池が量産体制になっていないのだからやむを得ない。また、延びたとはいえ一回の充電で走れる距離はまだ短く、どこででも充電できるわけではない。さらに高性能と言われる新電池の安定性・信頼性がまだ十分に確立されていないといったことが主な理由と言える。
自動車が売れるには、「性能」「コスト」「安全性」、この三つの要素が重要だ。だが技術者はつい製品の性能を高めることが使命だと考え、企業もエコという付加価値をつけるため、多少コストをかけてでも高性能のものをだそうとするなど、性能偏重になりがちだ。少しでも性能を上げようと、電池も鉛電池よりニッケル水素電池、さらにリチウムイオン電池と「性能面」では進化してきた。一キロメートルあたり一円程度という走行コストはいずれの電池でも同じだが、出力向上や長寿命など、確かにカタログ上はリチウムイオン電池にはメリットが多い。しかし、評価を確立するには、まだ時間を要するだろう。 そこで忘れてはいけないのが、そもそも「何のために電気自動車を開発するのか」という大局的な視点である。
上海では鉛電池の電動バイクが一千万台も普及している。さらに、中国は電気自動車の普及を国の重要施策である五カ年計画の二番目に掲げて開発を急いでいる。普及という要素を一番重要ととらえている国だと思える。つまり、性能はそこそこでも、コストや安定性の面から適材適所で、「量」「ニーズ」を満たす方法を採るのではないだろうか。「実効的な環境問題への貢献」が電気自動車開発の大局的な目的であるなら、この方法は現実的な選択かもしれない。
こうした目線は、電気自動車の進化について少し斜めからの見方だと思う。ただ、私も長年電気自動車との関わりを持つなかで、電気自動車が問題を解決する高いポテンシャルを持っていると確信している一人だ。だからこそ、電気自動車がエコを追求するあまり、過度な性能競争に走って、結果として普及が遅延したり、科学技術の裏づけがない概念的なエコムーブメントの一役者で終わらないよう、今後も、電気自動車の発展を見守っていくつもりである。
電気自動車と関わるようになって、これは技術研究というより人間研究だなと思うようになった。人は車に何を求めるのか?ガソリンエンジン車の性能と並ばなくてもいいと割り切れるのか?使い方、すなわち活を変えられるのか?低燃費車は経済的ゆえに乗り過ぎて、かえって渋滞の増加などを招かないか?電気自動車は、使う人間がそのあり方の本質を見抜くことこそ、真の普及への鍵であるという気がしてならない。
参考
1 社団法人 日本自動車工業会「低公害車等出荷台数統計」
2 国土交通省 自動車交通局「自動車交通関係統計データ