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かつて“陸の孤島”と呼ばれた大島半島には、不思議なほど多くの文化財があります。 6体の仏像が重要文化財として国の指定を受けており、長楽寺(日角浜〔ひつはま〕)の木造阿弥陀如来坐〔ざ〕像と木造多聞天〔たもんてん〕立像、そして常禅寺(西村)の木造不動明王坐像の3体は平安時代の作。今回撮影させていただいた清雲寺(浦底)の木造毘沙門天〔びしゃもんてん〕立像、木造吉祥天〔きちじょうてん〕立像、木造善膩師〔ぜんにし〕童子立像の三尊は鎌倉時代の作で、いずれも当代一流の仏師によって彫られたものです。 清雲寺(臨済宗相国寺〔しょうこくじ〕派)は、大島半島の中ほど、通称浦底地区の山すそにあり、門前にお住まいで、檀家総代をされている森本寅吉さんが参拝者の世話をされています。同寺の三尊は、かつては秘仏として春と秋の彼岸にだけ開帳されていたのですが、平成元年11月に収蔵庫が完成してからは、事前に予約をすれば拝観ができるようになりました。〔右下参照〕 |
![]() 中央が木造毘沙門天立像、右が木造吉 祥天立像、左が木造善膩師童子立像。 |
![]() 収蔵庫内では、像の横に回って拝観する ことができます。三尊とも、体がやや弓な りに反っているのが分かります。 |
![]() 「これが国宝の指定通知書」と清雲寺檀 家総代の森本寅吉さん。昭和16年11月 6日に文部省が指定したことが明記され ています(現在は重要文化財)。平成3年 に本堂を建てるため、古いお堂の中を整 理していたとき、仏壇の引き出しから出て きたそうです。 |
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須弥壇〔しゅみだん〕の中央に立つ毘沙門天は、悪に立ち向かう護国護法の神。七福神の中では財宝を守る神であり、四天王の一として別名「多聞天」とも呼ばれます。像高は約101p、左手に三股戟〔みつまたげき〕(矛〔ほこ〕)、右手は腰に当て、衣を風にひるがえらせ、忿怒〔ふんぬ〕の表情で邪鬼を踏みつけています。 向かって右の吉祥天は、毘沙門天の妃〔きさき〕で、人々に福徳を与える女神。像高約58p、その姿は柔和〔にゅうわ〕で凛〔りん〕とした気品があります。金属製のアクセサリーを身にまとうなど複雑繊細な造りです。 左側の善膩師童子は、この夫婦神の王子です。像高約47p、童顔で毘沙門天を見上げています。いずれも寄木造りで、同一人物の作とみられています。 毘沙門天を真ん中にして妻子の吉祥天と善膩師童子を配する三尊は、かつて数多く造られたそうですが、現存するもので国の指定を受けているのは、清雲寺のほかに、京都の鞍馬寺(国宝・平安時代の作)と高知の雪渓寺(重要文化財・鎌倉時代の作)のみだそうです。 |
![]() 平成元年11月に完成した 重要文化財三尊の収蔵庫。 |
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浦底地区に伝わる文書(江戸初期に建てられた毘沙門堂の棟札に書かれていたとされる記述の写し)には、後鳥羽院の時(鎌倉前期)に、快慶がこの三尊を彫刻したとあります。快慶は、運慶とともに東大寺南大門の仁王像など数多くの優れた仏像を残したことで知られる人物です。いずれにしろ、かなりの名工が精魂を込めた作であり、小ぶりながら本物が持つ迫力が伝わってきます。 また、江戸初期に長楽寺の住職が書き残した文書には、かつて大島は天皇直轄の領地で、あるとき天皇が退位されたあと大島に移り住まれたということが書かれています。大島に多数の貴重な仏像が存在する理由は、そのあたりにあるのかも知れません。 | |
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森本さんは、「小浜に多数の文化財があるのと同様に、都の戦乱を逃れ、若狭の地ならば安全であろうということで移されてきたのではないでしょうか。大島が永く辺境の地であり、仏像の存在が外にほとんど知られることなく歳月が流れたこと、そして、この地から優れた禅僧が輩出していることからも分かるように、大島の人たちのあつい信仰心が今日まで仏像を守ってきたのだと思います」と話されています。 |
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【参考文献】 |
『大飯町誌』(大飯町・平成元年発行)、『ふるさと百話集 上巻』(山口利夫編著・平成9年発行) |
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【取材協力】 |
森本寅吉さん(大飯町大島)からお話を伺いました。 |
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