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「化粧文化」という名前をつくり、化粧と文化の研究をはじめた30年近く前、化粧の研究など「男のやることでない」と非難されたことがある。化粧という身体装飾行為がアカデミックでないという理由であった。
化粧の歴史を振り返ってみても、髪型を含め、外見をつくることとその人の社会性とは支配層ほど切り離せないはずであったが、タテマエとしては外見について表立って口にすることははしたないとされてきた。化粧は不要なもの、無駄なものという考えがまかり通っていたので、第二次世界大戦中でも、日本では化粧はぜいたくとされ、化粧品製造は禁止された。一方、化粧の有用性を認めたアメリカ社会では女性の職場における仕事の効率を上げるために化粧は必要とされ、最低限の化粧品製造が許可された。文化による化粧観の相違には驚かされる。
そのせいか、化粧品メーカーは安全性を含め、常に化粧の有用性を訴えることに腐心してきた。その意味で、1990年代に高齢者に対する化粧の有用性が心理学の分野を中心に次々と発表され、実際に化粧後に元気になった笑顔の高齢者の顔がテレビなどに露出しはじめたことは、願ってもないことだったに違いない。
同じ90年代、欧米のみならず日本においても、生まれつきの病気や後天的な火傷やケガなどで顔やカラダに変形(disfigurement)のある人々が外見の社会性を取り戻すために活動を開始した。その後、医療と美容と心の専門家が研究会をつくって相互に勉強しあい、そのような人々にできることの可能性を探りはじめている。
もはや、外見は関係ないという時代に終止符が打たれ、外見もその人のアイデンティティとして尊重され、外見の回復によりQOL(Quality of Life)を高める活動が表に見える時代となった。2002年秋、日本社会心理学会でも化粧と被服による外見が与える心理的効果をテーマにワークショップが開催され、今年の5月末には同じく日本社会心理学会の公開シンポジウム「外見へのこだわりと自己」が聖心女子大で予定されている。
人は生まれつきの顔やからだがもつ自己イメージにこだわり、色を加えたり形を変えることを長い間やってきた。そんな研究がやっと社会的に認知されはじめたようだ。とはいえ、いまだに大学に化粧学科が開設されるという話は夢である。人はなぜ化粧するのか、さまざまな自由度を得た21世紀の現代人にこそ、欠かせないテーマなはずだ。まだしばらくは大学の非常勤講師として、少しでもこの分野の面白さを多くの人に伝える努力をしていこうと思う。■
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