若葉が萌える5月15日、京都では毎年「葵祭」が行われます。平安装束に身を包んだ人々が都大路を練り歩き、王朝風俗を今に伝える葵祭は京都の初夏を彩る風物詩です。今年は雅な歴史絵巻に触れてみませんか?
葵祭は賀茂御祖(かもみおや)神社(=下鴨神社)と、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(=上賀茂神社)の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都三大祭りのひとつに数えられています。行列の人々や牛馬まで葵の葉で飾るところから、葵祭と呼ばれるようになったと言われています。

葵祭の起源は欽明天皇(在位539~571年)のころにさかのぼると伝えられています。当時、凶作が続いたため賀茂皇大神(かもすめおおかみ)の崇敬者だった卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)を勅使(ちょくし=天皇の使い)として4月の中酉(なかとり)の日に祭礼を行いました。鈴を付けた馬と猪頭(ししがしら)をかぶった人が駆けくらべをしたところ、風雨がおさまり五穀も豊かに実って、国も安泰となったと言われます。

その後、国家的行事として発展していき、貞観年間(859~876年)ごろには現在のような祭儀に整えられました。途中、応仁の乱(1467年~77年)以降の約200年間と明治時代、昭和の第二次世界大戦前後など一時中断したことはありましたが、伝統と様式は今に受け継がれています。
正式に「葵祭」と呼ばれるようになったのは江戸時代の再興以降のことで、明治17年(1884年)から現在のように5月15日に実施されるようになりました。
葵祭は5月15日の社頭の儀(しゃとうのぎ)、路頭の儀(ろとうのぎ)のほか、5月3日の流鏑馬(やぶさめ)神事、4日の斎王代御祓(さいおうだいみそぎ)の儀、5日の歩射(ぶしゃ)神事、12日の御蔭(みかげ)祭などさまざまな神事が行われます。
平安時代、「祭」というと葵祭を指すほど重要な行事でしたが、一般の人が見ることができたのは、御所から神社に向かう行列だけでした。沿道には桟敷席が設けられたほか、法皇や上皇たちまでが牛車を並べて観覧、地方から上京してきた人たちも加わって、とても賑やかだったといわれています。
『源氏物語』には、主人公・光源氏の正妻・葵の上と愛人の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の従者同士が観覧のため車を止める場所を争って小競り合いを起こしたというエピソードが描かれています。当時から葵祭は人々が大勢集まる、大きなイベントであったことをうかがわせる挿話です。
平安装束に身を包んだ人々が連なる葵祭の行列は、優雅そのものです。行列の内容を知っていると、観覧もいっそう楽しめそうですね。5月15日に行われる祭礼、「社頭の儀」と「路頭の儀」についてご紹介します。

下鴨神社、上賀茂神社の両方で、行列が到着したときに行われる儀式です。勅使が御祭文(ごさいもん)を読み上げ、神前に御幣物(ごへいぶつ)を奉納します。また、神馬が引き回され、舞楽が奉納されるなど平安時代を思わせる儀式が行われます。
葵祭一番の見どころである行列「路頭の儀」は、本列と斎王代列にわけられます。総勢511人、馬は36頭、牛4頭、牛車2基で構成され、先頭から最後尾まで約1キロの長さにわたります。行列は京都御所を午前10時30分に出発し、堺町御門から丸太町通、河原町通を経て下鴨神社で社頭の儀を終えます。午後2時20分に神社を出て下鴨本通、北大路通から賀茂川堤を経て午後3時30分に上賀茂神社に至ります。

本列を先導するのは武官姿で馬に乗った乗尻(のりじり)です。その後ろには警護担当の衛士(えじ)や検非違使尉(けびいしのじょう)、山城使(やましろつかい)などが続きます。次に、宮中から両神社に納められる御幣物を入れた御幣櫃(ごへいびつ)や、神前で走らせる走馬(そうめ)、馬寮使(めりょうつかい)などが従います。

藤の花で飾られた華やかな牛車は御所車とも呼ばれ、勅使の乗る車とされています。その後を和琴(わごん)が運ばれていきます。これは神前で演奏される琴で、「河霧(かわぎり)」という名前が付けられています。

続いて舞装束の舞人(まいうど)、勅使の順に登場します。勅使は行列中もっとも位の高い人で、その馬は額や首などにも装飾を付けているので一目で区別することができます。さらに造花で飾られた風流傘や神社で雅楽を演奏する陪従(べいじゅう)、内蔵使(くらづかい)が続きます。

男性中心の本列にかわって、後続の斎王代列は女性が中心となり、平安絵巻さながらの色あざやかな装束姿が連なります。最初に命婦(みょうぶ)や女儒(にょじゅ)といった女官の行列で始まります。男性が担ぐ腰輿(およよ)に乗っているのは斎王代です。さらに馬に乗った駒女(むなのりおんな)、蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)などが続き、最後を桜と橘で飾られた、斎王の牛車で締めくくります。

「斎王」というのは平安時代、未婚の女性皇族から選ばれて神に奉仕した女性のことで、嵯峨天皇の時代から賀茂神社にも置かれるようになりました。承久の変(1221年)以降、賀茂神社の斎王は途絶えましたが、昭和28年(1953年)の葵祭復活後、京都の未婚女性から斎王の代理となる「斎王代」が葵祭のために毎年選ばれるようになりました。
斎王代は五衣(いつつぎぬ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)に小忌衣(おみこ
ろも)を重ねた十二単(じゅうにひとえ)姿で、髪はおすべらかしにします。
髪には金属製の飾り物の心葉(こころば)や額の両側に下げる日陰糸(ひかげ
いと)を飾り、手には桧扇(ひおうぎ)を持ちます。平安装束そのままの斎王
代の姿は、葵祭の長い歴史を感じさせます。
関西電力では、地域や生活に密着した事業者として、地域コミュニティーの活性化に向けた地域共生・社会貢献活動を展開しています。その一環として、さまざまなボランティア活動を行っています。 京都支店京都営業所では、毎年葵祭の「路頭の儀」の行列に社員が参加しています。検非違使や勅使、斎王代などとともに行列に加わり、京都御所から上賀茂神社までの約8キロの道のりを歩きます。 葵祭り以外にも、関西電力では街頭清掃や点検活動などのボランティア活動を通じ、地域社会の発展に向け、積極的に貢献しています。
社団法人京都市観光協会
京都市観光協会では観光スポットや季節の話題、宿泊情報、各種行事など京都のさまざまな話題を発信しています。葵祭では京都御苑と下鴨神社参道で有料観覧席を設置、販売しています。
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