商業・文化の中心地として栄えてきた大阪。そんな大阪の中でも、中之島界隈には、歴史的建造物が数多く残されています。うららかな春の一日、カメラを片手に浪漫あふれる建築を訪ねてみませんか。
水都・大阪を代表するエリア、中之島。堂島川と土佐堀川に挟まれたこの地を歩いてみると、明治から昭和初期にかけて建築された赤煉瓦や石造りの洋館が目にとまります。いずれも大阪の経済や産業の発展を見つめてきた建物です。そんな大阪を代表するレトロ建築をいくつかご紹介しましょう。


大阪府立中之島図書館は、財閥・住友家の寄付により建築された大阪初の図書館です。巨大なコリント式円柱に支えられる正面は、まるでギリシア神殿のよう。外観はルネッサンス様式を、内部空間はバロック様式を基本としています。(図書館利用可)


今も昔も中之島のシンボルとして親しまれている大阪市中央公会堂は、赤煉瓦の勇壮なネオ・ルネッサンス様式の建築が特徴です。明治から大正にかけて株の仲買人として巨万の富を得た岩本栄之助が100万円を大阪市に寄付し、建てられました。ヘレン・ケラーをはじめ、国内外の著名人が講演や演奏会を開催しています。(内部は地下1階の岩本記念館のみ、一般見学可)

写真提供/大阪市中央公会堂

大阪倶楽部は大阪を代表する名建築家、安井武雄の設計による建物で、本格的な英国風会員制社交倶楽部として、大正時代に大阪の財界によって創設されました。古代ローマの集合住宅を彷彿とさせる外観ながら、アーチ部分に唐草模様が配されるなど、東西の様式美が融合するユニークなデザインになっています。(内部見学不可)

中央電気倶楽部は電気関係者が主体となって創設した社交倶楽部。内部は1階が大理石、2階はタイル、3階は木造と、異なる素材で装飾された凝った造りのビルディングです。NHK朝の連続ドラマ『芋たこなんきん』の舞台として、たびたび登場しました。(内部見学不可)

大阪株式取引所(現在の大阪証券取引所)は、明治政府の新役人として赴任した五代友厚(ごだいともあつ)が中心となり、創設しました。この頃の堺筋は銀行や株の仲買商が集まる金融街で、大阪のメインストリートでした。古典建築を彷彿させる正面玄関やアール・デコの装飾が見事です。2004年、地上24階地下2階建ての高層ビルに建て替えられましたが、旧取引所の正面外観と、内部(アトリウム)は保存され、当時の面影を伝えています。(内部一般見学可)

泉布館は日本で最も古い洋風建築の一つで、当初は造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建てられました。明治5年に天皇が行幸した際、天皇自ら「泉布館」と命名。「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」を意味します。設計は明治の洋風建築に大きな業績を残したウォートルス。ベランダを周囲に配したベランダ・コロニアル式は、幕末から明治期の日本の洋風建築の特色のひとつです。

「泉布館」はこの春の3日間、一般公開されます。この機会に普段見られない大阪の隠れた魅力を訪ねてみてはいかがでしょう。
2010年の一般公開/3月20日(土)~22日(月・祝)
10時~17時(入館は30分前まで)
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もっと欲張りにレトロ建築めぐりをするなら、あの浜村淳さんのナレーションで街歩きをしてみませんか。大阪観光コンベンション協会・大阪市が提供する「大阪まちあるき」音声観光ウォーキングは、協会のウェブサイト内「大阪まちあるき」から音声ガイドをダウンロード、携帯オーディオプレーヤーに取り込み、街歩きのナビゲーターとして楽しむというもの。「レトロ浪漫中之島タイムトラベルコース」では、浜村淳さんによるレトロ建築にまつわる名調子の解説が満喫できます。音声ガイド、専用マップともに無料でダウンロードできるので、おでかけのお供に活用してはいかがでしょうか。
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明治から大正時代にかけて「東洋のベニス」と讃えられ、繁栄を極めた大阪。「大大阪時代」を築く一つのきっかけになったのは、大阪市の都市整備事業でした。明治時代の大阪の市街地は、江戸時代から続く狭い道に加え、通りにはみ出して建てた町家により道幅がずいぶんと狭められていました。1917年(大正6年)、大阪市は町家正面の一部を切り取って本来の道幅を回復する、いわゆる“軒切り”による整備を開始します。同時に市電の敷設や都市計画に基づく道路拡幅を行い、近代的な都市基盤を確立しました。
さらに1923年(大正12年)に、新しく就任した大阪市長・関一が第2次市域拡張に乗り出します。大正14年には周辺町村を市域に編入。大阪市の面積は一挙に3.5倍に広がり、人口は133万人を超え、東京を超える日本最大の都市が誕生しました。世界的にもニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、シカゴに次ぐ第6位の都市となり、行政、市民、マスコミも、マンモス都市に成長した大阪を「大大阪」と呼んで、華やかな気分を盛り立てました。
| 年代 | 大阪の街の動き | 関西の電気事業のあゆみ |
| 文明開化の幕開け | ||
| 1868年 (慶応4年) |
大坂・川口に設けられた外国人居留地で、大阪初の西洋風の住宅が建築される | |
| 1868年 (明治元年) |
五代友厚が明治政府新役人として、大阪へ赴任 | |
| 1878年 (明治11年) |
大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)設立 大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)で売買スタート |
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| 1882年 (明治15年) |
日本銀行大阪支店開設 | |
| 1887年 (明治20年) |
明治20年代から繊維産業が盛んになる | 神戸電燈設立 |
| 1888年 (明治21年) |
大阪電燈、京都電燈設立![]() 大阪中之島にあった大阪電燈本社全景 |
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| 1894~1895年 (明治27~28年) |
日清戦争 | |
| 1903年 (明治36年) |
日本銀行大阪支店が中之島に移転 大阪市電が開通 ![]() 大阪市電:日本最初のめずらしい二階付き電車 |
都市化による電燈の普及 工場動力が蒸気から電力へ移行しはじめる |
| 1904~1905年 (明治37~38年) |
日露戦争 | |
| 1906年 (明治39年) |
宇治川電気設立、琵琶湖疏水による水力発電を中心に営業 | |
| 1910年 (明治43年) |
大阪電燈で大容量火力発電所新設相次ぐ 安治川西発電所が東洋一と賞賛される |
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| 1912年 (大正元年) |
財界人による大阪倶楽部創立 | |
| 1914~1918年 (大正3~7年) |
第一次世界大戦 | |
| 「大大阪」時代の幕開け | ||
| 1917年 (大正6年) |
大阪市が“軒切り”と呼ばれる都市整備をスタート 堺筋、中之島がいち早く整備され、商業の中心地に発展 |
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| 1923年 (大正12年) |
大阪市長に関一が就任 | 大阪市が大阪電燈を買収し、大阪市に電気局が誕生 |
| 1925年 (大正14年) |
大阪市が市域拡張に乗り出し、周辺町村を編入 面積・人口とも東京市を抜き、日本最大の都市・世界第6位の巨大都市に発展 |
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![]() 大大阪の心臓(昭和初期):北に堂島、南に船場をひかえた中之島、縦に走る御堂筋の右側に大阪市役所、左側に日銀大阪支店 |
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| 1930年 (昭和5年) |
昭和初期頃から電燈が全国に普及、扇風機など家電の需要が高まる | |
| 1931年 (昭和6年) |
日本電力、大同電力、宇治川電気、京都電燈の共同出資で関西共同火力発電創立 | |
| 1933年 (昭和8年) |
地下鉄御堂筋線開通 梅田-心斎橋間 | |
| 1937年 (昭和12年) |
大阪市が電気科学館を開館 | |
| 1939~1945年 (昭和14~20年) |
第二次世界大戦 | 戦時下では電力供給を制限、家電製品の普及も大きく制限される |
| 1942年 (昭和17年) |
配電統制令に基づき、国が関西地方の14電気事業者に命じ、関西配電株式会社を設立させる | |
| 1951年 (昭和26年) |
日本発送電と全国の9配電会社が解散 関西電力設立(同時に日本全国に計9つの電力会社誕生) |
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参考文献/『住まいのかたち 暮らしのならい』(大阪市立住まいのミュージアム図録)、『関西電力五十年史』(関西電力五十年史編纂事務局/編纂)
レトロ建築のほかにも見どころがいっぱいの中之島について、もっと詳しく知るなら「中之島スタイル.com」がおすすめです。「中之島スタイル.com」は中之島まちみらい協議会が運営するウェブサイトで、関西電力も協議会メンバーとして参加しています。中之島のイベントや散策情報はもちろん、お店や文化施設、ホテルのほか、歴史や開発ビジョンにいたるまで、さまざまな話題を提供しています。
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