上方歌舞伎がおもしろい!~坂田藤十郎襲名~

2004年4月に生活情報「上方歌舞伎がおもしろい!」で演目『曽根崎心中』を中心に、皆さんにご紹介した上方歌舞伎の世界。今年は、三代目中村鴈治郎さんがついに坂田藤十郎という大名跡を襲名されることになり、上方歌舞伎はますます活気付いています。今回は、その坂田藤十郎襲名を中心に、上方歌舞伎の盛り上がりをお伝えします!
坂田藤十郎坂田藤十郎坂田藤十郎坂田藤十郎
(撮影:蜷川美花)

~名跡・坂田藤十郎~

◆初世…正保4年(1647)<※一説では正保2年>~宝永6年(1709)
京の座元坂田市右衛門の子として生まれる。延宝6年(1678)、『夕霧名残の正月』で藤屋伊左衛門を演じ大評判を得、名声を高めた。 元禄6年(1693)京都・都万太夫座で、近松門左衛門作『仏母摩耶山開帳(ぶつもまやさんかいちょう)』で大好評を博す。この前後から近松門左衛門と手を結び、数々の作品に出演して傾城事、やつし事の演技に評判を得る。藤十郎は近松の脚本を尊重し、また近松も藤十郎のために約30編もの脚本を残している。元禄8年(1695)11月には京都・都万太夫座の座元となり、同時にその芸位も上上吉を極め、名実ともに京坂における第一人者となる。 芸風は写実的で弁舌に優れ、前述のやつし事、濡れ事に長じ、現在まで続く“和事”の創始者とされる。その功績は大きく、人格も含め歌舞伎史上最高位に位置づけられる役者の1人である。

二世…寛文9年(1669)~享保9年(1724)
初世の弟分にあたる。山城伏見の生まれといわれ、通称を伏見藤十郎。正徳元年(1711)1月、京都布袋屋座で『けいせい二代男』の嘉門之助を勤め二世藤十郎を襲名。以後、正徳4年(1714)まで京坂の大劇場に出演した。


三世…元禄14年(1701)~安永3年(1774)
元文4年(1739)11月江戸河原崎座で『入船大平記』に出演し、三世藤十郎を襲名した。実事を最も得意とし、京坂で多くの舞台を勤め、宝暦4年(1754)には上上吉となる。その後は京都・大坂・江戸の三都をはじめ、各地で舞台を勤めた。


◆中村鴈治郎改め 坂田藤十郎…昭和6年(1931)~
二世中村鴈治郎の長男として生まれる。昭和16年、9歳の時に二代目中村扇雀を名乗り初舞台。昭和28年、『曽根崎心中』のお初を演じ、世に「扇雀ブーム」を巻き起こし、その後も多彩な分野、幅広い芸域で活躍する。また上方歌舞伎の復興に努め、近松門左衛門・坂田藤十郎を自らの原点とすべく昭和56年11月近松座を結成。翌年5月に第1回公演『心中天網島』を上演、その後も活動を続ける。昭和59年からアメリカ、旧ソ連、カナダ、メキシコなど海外でも積極的に歌舞伎を上演し、功績をあげている。平成2年11月三代目中村鴈治郎を襲名。平成6年 人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定される。平成17年、三世の没後231年ぶりに坂田藤十郎の名を襲名する。

2005年11月30日に京都・南座「吉例顔見世興行」から始まり2006年1月2日~26日の東京・歌舞伎座の「壽初春大歌舞伎」を経て、10月の名古屋の「吉例顔見世」まで、『中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露』の公演が行われます。
この必見の記念公演、演じられるのはどれも坂田藤十郎の名跡・評判に深くまつわる名目ばかり。ここでは、京都・南座と東京・歌舞伎座で演じられる「夕霧名残の正月 由縁の月」、「曽根崎心中」と「伽羅先代萩 御殿・床下」について解説しましょう。

夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)

原作・近松門左衛門。日本三太夫の一人として、江戸の高尾、京の吉野と並び評された大坂新町の名妓・夕霧の27歳という若すぎる死を偲び、延宝6年(1678)2月に上演された作品。初代坂田藤十郎が夕霧の恋人・藤屋伊左衛門を演じ、大評判を得た。以来、伊左衛門は初代藤十郎の当たり役となり、その生涯を通じて18回演じたと伝えられる。新藤十郎が2004年秋演じた『廓文章』も、この「夕霧名残の正月」を脚色して上演された「夕霧狂言」の流れを汲むもの。 「やつし」や「傾城買い」といった元禄期の上方歌舞伎の特色を備えた作品といえる。
夕霧名残の正月/藤屋伊左衛門夕霧名残の正月/藤屋伊左衛門夕霧名残の正月/藤屋伊左衛門
夕霧名残の正月/藤屋伊左衛門(撮影:蜷川美花)


曽根崎心中(そねざきしんじゅう)

原作・近松門左衛門。実際に起きた心中事件を題材にした「世話物」といわれる狂言の代表格。天満屋抱えの遊女お初は、平野屋の手代徳兵衛と相思相愛の仲。しかし徳兵衛に縁談が持ち込まれ、その上、徳兵衛は油屋九平次に大切な金子を騙し取られてしまう。もはやこの世で添い遂げることは叶わないと悟った2人は、曽根崎の森で心中してしまう。
長く上演の絶えていた近松門左衛門の名作を、昭和28年に宇野信夫の脚色・新藤十郎(当時・二代目中村扇雀)主演で復活・上演し、大きな反響を呼んだ。それ以来、天満屋お初役は新藤十郎が演じ続ける当たり役となった。近松作品の上演に情熱を抱き続け、近松座を主宰する新藤十郎の原点とも言える作品で、2005年6月の訪米公演まで通算1,225回、お初を演じている。

→詳しくは『今、上方歌舞伎がおもしろい!』

曽根崎心中/お初曽根崎心中/お初曽根崎心中/お初
曽根崎心中/お初
(撮影:篠山紀信)

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)

原作・奈河亀輔。江戸初期の仙台藩伊達家に起こったお家騒動、いわゆる「伊達騒動」を題材・脚色した歌舞伎。足利家の幼君・鶴千代は、悪人達から命を狙われるが、乳人政岡とその子・千松が付き従い守っている。ある時、管領の奥方が将軍家下賜と偽り、毒入りの菓子を鶴千代に勧める。その時千松が駆け出し、その菓子を口にして絶命する。若君を守るために、我が子の最期を目にしながらも毅然としていた政岡だったが、やがてひとりになると、主君の危機を救った我が子のために泣きむせぶ。女方の中でも屈指の難役とされる政岡役を、新藤十郎は扇雀時代から度々演じているが、近年、原作に基づいた演出を取り入れ、より完成度の高いものに仕上げている。
伽羅先代萩/乳人政岡伽羅先代萩/乳人政岡伽羅先代萩/乳人政岡
伽羅先代萩/乳人政岡


平成の藤十郎、抱負を語る ~坂田藤十郎襲名披露記者会見より~
6月8日、「坂田藤十郎襲名披露興行」の記者会見が京都と東京で同日に行なわれました。その席で、大名跡・坂田藤十郎を231年ぶりに襲名する中村鴈治郎さんが抱負と襲名の感慨を語られました。
新藤十郎新藤十郎新藤十郎新藤十郎

襲名披露口上ポスターと、『夕霧名残の正月』の舞台で着る紙衣(かみこ)の衣裳の前に立つ新藤十郎


「藤十郎を襲名するにあたり、縁の深さをつくづく感じています。初代藤十郎がスターになった『夕霧名残の正月』の上演の25年ほど後、『曽根崎心中』が上演されております。さらにその250年後私が「お初」の役をいただいた『曽根崎心中』が再上演され、“扇雀ブーム”が起こりました。
藤十郎を襲名するにあたり、やはり人の真似ではいけないと思っています。自分の芸をみせ、自分の芸をつくり、勉強して、“私の歌舞伎”を皆さまのお目に掛けようと思っています。
初代藤十郎は一生懸命自分の芸を磨き、自分の芸を作り、上方の和事を伝えました。私も、“平成の藤十郎”として、悔いのない歌舞伎役者としての人生を送りたいと思っております」

初代を偉大と褒め称えながらも、自分の芸、自分の歌舞伎を作っていくという新藤十郎。でもおそらくどの代の「坂田藤十郎」も、今回の舞台の上では生きているのでしょう。台本だけでは分からない、実際に目で確かめないと分からない何かが、この襲名披露公演では確かめられるかもしれませんね。

上方歌舞伎・坂田藤十郎関係イベント

中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露」

京都南座公演『當る戌歳 吉例顔見世興行』
期間: 2005年11月30日(水)~12月26日(月)
演目: 「夕霧名残の正月 由縁の月」
  「曽根崎心中」
  「本朝廿四孝 十種香・奥庭」
  坂田藤十郎襲名披露 口上」ほか
京都南座地図


歌舞伎座公演『壽初春大歌舞伎』
期間: 2006年1月2日(月・祝)~26日(木)
演目: 「夕霧名残の正月 由縁の月」
  「曽根崎心中」
  「伽羅先代萩 御殿・床下」
  坂田藤十郎襲名披露 口上」ほか
歌舞伎座地図


博多座公演『二月博多座大歌舞伎』
期間: 2006年2月
演目: 「伽羅先代萩 御殿・床下」
  「大津絵道成寺」
  坂田藤十郎襲名披露 口上」ほか
博多座地図


大阪松竹座公演『七月大歌舞伎』
期間: 2006年7月
演目: 「夏祭浪花鑑」
  「京鹿子娘道成寺 道行より鐘入りまで」
  坂田藤十郎襲名披露 口上」ほか
大阪松竹座地図


名古屋御園座公演『第42回 吉例顔見世』
期間: 2006年10月
演目: 「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」
  「枕獅子」
  坂田藤十郎襲名披露 口上」ほか
名古屋御園座地図





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